自己洞察と省察、あるいはうつでいっぱいの海

進学選択のその後

 

後期教養学部統合自然科学科認知行動科学コースに内定してから3ヶ月ほどが経ち、A1タームも終わりかけた今、自分の選択を振り返ってみることにする。自分の承認欲求を満たすために、もし同じコースを目指す1年生、あるいは高校生がいたら、少しでも役に立てばと思う、と付け加えておく。

 

自分は高校時代からなあなあに過ごし、流れに任せて理系を選び、流れに任せて東大を受験、あっさり理科一類で合格した。どうやら俺は流れに乗るのが上手いらしい。与えられた課題をただこなして、過去問をただ解くだけ、勿論そこにやり方の良し悪しはあるだろう、あるだろうがそんなものは微々たる差だ。結局は量がものを言う、そうできてるのが大学入試である。でもただこなすのが苦痛ではなかった、悦びすら覚えた。なぜだ、、、???

知的好奇心故にか?

学問の可能性に胸を膨らませてか?

将来の自分の成功を夢見てか?

 

多分違う。数字だ。そこに移る点数、順位が俺を突き動かしていた気がする。そしてそういう習慣は身に染み付いてしまっている。それが悪だとは思わない、むしろここまで俺を這い上がらせた(あるいはのさばり続けさせた)原動力なのだから。

 

習慣はそう簡単に洗えない。思えば前期教養時代もそうだった。ただやるだけは得意だ。ALESSは言われた通り適当に英語を紡ぐだけ。微積なんか問題演習を積むだけ、線型代数は定義を覚えてそれに従うだけ。熱力学は公式を覚えるだけ。力学に関しては訳が分かったような分からないような教科書と過去問を覚えるだけ。英語一列は難しさもない、訳の分かる教科書を覚えるだけ、俺にとってはこっちのが虚無だった。そろそろ冗長なので振り返りは終わるが、結局本質を何も理解していない。

 

今、後期教養の電磁気、統計力学を受けているが前期教養時代に習ったはずの知識を何も覚えていなかった。何もと言ったら嘘になる。断片しか覚えていない、有機的に繋がらない。それではただのクイズオタクだ。そんな自分が悲しかったし悔しかった、同時に知らねえよ知らなくても悪くないぞ俺は、と自分自身にそう言い聞かせていた。

 

だが、本質を理解していなくてもテストはできる。それっぽい発表はできる。そういう人間だった。点数はポンポン来た。嘘みたいに良い点数が来た(もちろん努力に見合うものもあるが)。2Sが終わってみれば平均点は90点を超えていた。瞬間は自分の努力を褒め称え思い上がる。なんならこんなに優秀な人材が集まる東京大学でほぼ全員が俺より平均点が低いことにこの国の未来を憂慮したりまでした。

 

学部学科は選び放題(医学科は要求科目を満たしていなかったし、おそらく点数が足りなかった、一時期はいけると思い真剣に考えたがやめた、医学に興味がないのとグロテスクが苦手だから。でも本当は点数が足りなくて行けなかった時の防衛線を張っていただけかもしれない、理由づけなんてそんな都合のいいもんばっかりだ)だった。どうせならよく分からん所に行ってやる、前期教養の様に広く浅くぬるま湯に浸かっていたいと安直に考えて駒場に残ることにした。

 

駒場の学部は真剣に調べた。どんな講義がある、どんな先生がいるか、何が必須単位か、卒業生は院に行くのか、就職先はどこかなどは全部見た。全部見て、統合自然の認知に決めた。駒場には世界的にも有数のMRIがあると聞いていたしなんか脳科学すごそうじゃん!?という若かりし頃からの期待と幻想を抱いていた。中学3年だか高校3年の国語の授業中に、20歳の自分に向けての手紙を書くという時間には「脳科学を勉強していますか?」と書いたのを鮮明に覚えている。

 

認知コースは何をやるのかよく分からないけど俺の好きなことをやってくれる、副専攻で生命科学や物理化学をやれば面白そう、そんな自己中心的な欺瞞は最初のうちは良いバランスを保っていたが(今も他の人の目には保っているように見えているかもしれないが)、確実に綻び始めている。後期教養学部統合自然科学科内定の事の重大さを今、理解した。

 

統合自然科学科はどのコースでも卒論が必修だ。(他の学部は知らない、理数に卒論が不要なことくらいしか情報がない)ここまで読んだ人はお気づきだろうが、俺の日本語は壊滅的である。なあなあに過ごして点数を取り、知識が疎かでしかも日本語のレポートもまともに書けない、そんなやつはお門違いだ。後期課程は自分を突き動かす点数も無い。見かけ上は全て単位のあるなしに量子化される。動機付けが無い。(動機付けが弱いとうまくいかないのは、微塵も興味のない講義で学んだ、認知コースで否が応でも取らねばならぬコース科目選択必修のおかげだ、感謝している)

 

ただ、やるだけは得意だ。なぜレポートを書くのかというメタ認知をしないで(もしかしたらこの訓練が俺は上手いのかもしれない、自己鍛錬の鍛錬とは名ばかりでもはや自分をメタ認知する以前の低次の段階でロボットのように自分を動かすことを指すのかもしれない)ただレポートを書く。ノートを取る。講義を聞く、聞かずに寝る。何でもできる。時折面白い話に感動する。感動したことも覚えているが本質は理解していない。どうやらそれで良い時代、前期教養モラトリアムは終焉を迎えたらしい。自分の興味のあることを、時に自分の知識で考えて、時に先行研究をとことん調べて行く時代に来たらしい。

 

そんなことは最初から分かっていたはずである。分かっていたが目を背けていた。目を背けてはダメだと思いつつ結局ただやるだけで20年弱何とかなっていた。ただやるだけだからやりやすいのを選ぶ。本質的な理解を欲して取った科目はない、初めのうちはその心意気でとっていても、ターム、セメスターが終われば点が取れれば良い、東大生はそんなもんである。なんなら俺より点が取れない東大生なんなんwとまで思う時もあった。認知コースはレポートと演習で圧迫される。とも思えば標準偏差を熱弁したり教科書やスライドの読み聞かせもある。他コース科目は前でオタクが喋り散らかすだけ。運動の機会も減った。

 

進学選択に関しては下調べが甘かったのもある。そもそも脳科学をやると思っていたのが甘い。心理学のコースだからと興味のない臨床の実験も講義もある。後期教養学部便覧に乗っている講義は全て開かれるものだと考えていたが違った。また、そもそも名前だけで選んで中身と一致しないというのはよくあるし、名前から分からないものだってある、未だに異常心理学が何を指すのかよく分からない。

 

しかし不思議なことに、工学部に行ったらパラダイスが待っていたのか?理学部に行ったらユートピアが待っていたのか?他の学部だったらということは微塵もよぎらない。統合自然科学科には満足している。他の学部の人々を見る限り講義の自由は他の学部より十分アドいと思っている。

 

性格診断をするとよくリーダーシップがある、知的好奇心が旺盛と言われる(認知コースで社会学を散々非科学的とバカにしながらこういうのは信じ込む、占いも信じる、擬似科学だからと行って日常から一律に排除すべきではない、世の中運で回っていることも多々ある)とか言われる。あまり重く受け止めないが1つだけ重く受け止めた言葉がある。

 

「このタイプの方は人の上に立つ割には中身が無い、能力が無いこともあります

(中略)

このタイプの有名人は……ビルゲイツ……

 

うっせーよと思いながらそそくさと閉じた。

 

、、、

 

俺はビルゲイツにはなれない。

俺は、ビルゲイツには、なれない。

 

進学選択を控えた人は、一次情報を掴んだ方がいい。便覧とて便覧、全てを鵜呑みにしてはいけない。先輩、教員、同期の話はたくさん無いと判断できない。どこに決めようと構わない、構わないが自分を強く保つピラーは3本くらいあった方がいい、古代中国の時代から3本は安定だ。そして今まで点数、順位などという数字に絶大な比重をかけていた人は気を付けた方がいい。もうそのピラーは限界だ。知的好奇心(笑)などではない本質的な学問への興味とそれに付随するやる気を代替ピラーにすべきだ。他の2本は自分の趣味とか環境要因みたいなやつで何とかなる。

 

改めて考えると俺は別に心理学にも脳科学にも本質的な興味はない。色々なことを知りたいだけ、知っていることを点数化されたいだけ、数字が欲しいだけ。そう神に一蹴されれば自分の学生としての生は終わり、一生適当な企業でそれっぽく働いて好きな音楽を聴いて音ゲーでもやって健康寿命を終える。残念ながら俺の信じた神は科学だったからそうは問屋が卸さない。コースのみんなと楽しくやっていける、それだけで幸せで、課題なんかなあなあで終わらせたい、そんなことより知りたいんだ!神が囁く、あるいは神の使い魔みたいな認知コースの教員が囁く、じゃあ自分で仮説立てて実験して論文書いてみよう!、、、違う、俺はそんなこと知りたくない(知れれば万歳だがそんな労力も能力も今のところない)、知識が欲しいだけだ。この性格で本が嫌いだからこういう産業廃棄物みたいなのが産まれてしまう。神がいるなら、この先もなあなあでこなすだけで道が拓けるのか教えてほしい。残念ながら俺の信じた神は科学だから未来にタイムスリップできない。

 

認知コースは、本質に興味のある方で、日本語あるいは英語が得意(もしくはその水準まで自分を高められる)な人を募集しています。東京大学がその尺度として用いた1.5年の平均点の内的妥当性は、低かったと思う。まあでも後悔をしても仕方ない、自分には留年や降年という選択肢は取れない、怖くて。怖くてできない、1年で何か変わるのか?そんな1年に賭けるならやらなきゃいけないことをこなすことにする。ただやるだけは得意なので。そう思って走り続けることにしてる。